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「生徒指導・特別指導はこうやる!    その3  〜謹慎指導および解除編〜」


今回の「先生学」のテーマは「生徒指導・特別指導はこうやる!」の続編にして第3弾。前回同様、高校における生徒指導のオーソドックスな流れと特別指導について、特に学校現場における指導のポイントを押さえながら助言していきます。第1回の「事実確認編」、第2回「申し渡し編」に続き、第3回の「謹慎の具体的指導および謹慎の解除編」です。

前回までは

    事情聴取・事実確認  

    合同部会の準備  

    臨時の拡大生活指導部会と職員会議  

    申し渡し

について確認してきました。今回は「謹慎の申し渡し」に引き続き、「謹慎指導」の流れに沿って「謹慎解除」になるところまで。その指導上のポイントを押さえて助言していきます。

「あー、それなら何度もやったことあるわ」という先生も、ご自身の指導を振り返って読んで欲しいと思います。そして必要だと感じるところがあれば、通常の授業やホームルーム活動における指導と同様に、今の生徒と今後出会うであろう未来の生徒のために、バージョンアップしていきましょう。


    謹慎指導   

  謹慎指導の内容  

「自宅謹慎」にせよ「登校謹慎」にせよ基本は、

●  友人との接触禁止……スマホ利用も含む

●  学習課題の取り組み……英数国理社の5科目

●  反省日誌……①1日24時間の生活をすべて細かく記入(  →  基本的生活習慣の見直しが目的)、②本人のその日の反省、③保護者からひと言

    さらに自宅謹慎の場合は、毎日朝と夕方に自宅から電話をします。本人から担任や当該学年に定時連絡。)といったところでしょう。

我々は上記の指導内容を踏まえて「反省日誌」からその反省度合いのわかる感想欄、1日の生活、課題をもとに学習内容の一覧、(その課題の取り組みの跡がわかる問題集やノートも)について、登校時に確認します。では、さらに細かく見ていきましょう。


〈生活指導・謹慎中における指導のポイント〉

まず前提として「進路変更」を促す、いわゆる退学・転学を強く勧める指導をせずに「謹慎指導」に入るということは、その生徒を他の生徒のいる「学校生活に戻す」というのが原則です。あくまでもそのための指導で「学校の指導に従えないなら退学だからな」的なものは良くない。我々教員は適度な距離を保ちながらも子どもに寄り添う気持ちでいるべきです。


1)原因追求のため事実確認の振り返り

謹慎指導となった問題行動の事実確認をあらためて行う。事実で矛盾している点があればそれを突き詰め、事実確認だけでなく本人の当時の意識や動機それに基づいた言動を把握しておく。発覚後に誤魔化させない。事実やその時の本当の心情を本人自身から吐かせる。そのために我々教員は複数の証言や客観的事実を必ず押さえて共有しておく。(こちら側の思い込みは危険です。)証拠となる「裏」は必ず取っておく。学校に設置されている防犯カメラの内容など客観的事実や複数の証言。本人の証言との整合性。その上で矛盾点を追及する。私はそれを徹底してきましたので、他校の教員や生徒が絡む場合、あるいは警察が関わる場合でも、生徒本人が言い訳をしたり取り繕うことができないようにしました。特に被害生徒がいた場合は重要。

時には、ただ捕まって指導の対象になってしまったからとりあえず仕方なく表面上だけ反省する生徒とか、開き直ってふてくされて反省する生徒が見受けられます。これらも「突っ張りたくなる思春期特有のもの」と受け止め、我々は衝突せず冷静に対処します。そのことを行った自分自身をあらためて振り返って考えさせます。


2)生徒への問い掛けと説諭

恥ずかしながら正直に申し上げますが、若かりし頃の私自身のこういう生活指導は、今振り返ってみるとまったくダメでしたね。あたかも警察官が犯人を上から問い詰めていくような、圧力をかけて平伏させるような。教員と問題を起こした生徒という立場を前面に出して。感情を露わにして正義感や社会制度の意味とかを強調して叱責してました。そんなことは当たり前なのだから生徒も「はい。その通りです」「すみませんでした」の繰り返し。だからうまく行かず同じ生徒がまた問題行動を起こす。それを招いたのは私自身でした。皆さんには反面教師にして欲しいです。生徒自身に考えさせる、深く洞察させる、とかできてなかったです。では具体的にどこまで考えて指導すべきか。詰問するのではなく、その問題の根本や影響を本人に「考えている」かどうかを確認して指導したい。自分と向き合わせる、という取り組みをさせたい。ということは、教員側がその「答え」を持っていなきゃいけないですよね。

学年指導レベルの「遅刻指導」と特別指導レベルの「万引きの事例」と二つの例を挙げてわかりやすく説明しましょう。

〔例1〕遅刻指導

  学校のルールという観点

開始時刻は決まっているだろう、他のみんなはきちんとあるいはギリギリでも来ているだろう、という論理。高校や私立学校などではある意味、そこで強く叱責しても間違いではない。進路変更も可能だから。今はエンカレッジスクール、昼間定時制や通信制など確かにさまざまなタイプの学校は有ります。

  →  でも、遅刻だけで退学は促せませんよね。この業界の実情として。生徒はわかってます。

  社会常識としての観点

お前が社会に出てから困る、信用も失う、評価が下がるぞ、会社やお店づとめをしたら同僚も困るだろう、という論理。

  →  で、生徒はそんなことは理解してますよね。「大人になった時には直すし」とか「バイトの時には時間守るし」と生徒は言いますね。

  学習内容の理解不足に繋がる

授業に遅れて入室したら当然途中から授業を受けることになり、先生の話を最初から聞いておらずお前自身が授業内容をわからなくて困るだろう、という論理。

  →  本人が困るだけ?ではない。だいたいこういう生徒は遅刻したデメリットなんて考えない。

  授業妨害という観点

①から③までは結局「自分が困るだけ」という論理が中心。当たり前に登校して真面目に授業を受けている生徒の「授業妨害」となる。授業を進めている先生に対しても妨害となる点も見逃さず追求したい。遅刻常習の生徒はこの点はあまり思いつかないです。部活で集団競技をしている生徒には「みんなへの迷惑」は効きますね。「どうやってみんなにその迷惑掛けた授業を返せるの?」とこちらが言うと、まず言い返せない。また保護者への連絡指導や呼び出し指導を生徒とする中でも次のような保護者がいる。「この子、起こしてもほんとに起きないんですよ」という仕方ない的な物言いをして遅刻の重さがわからない無責任な保護者。稀にいます。そういう時には先生から「他の生徒の保護者の方からも授業妨害となり落ち着かない。そういうクレームが複数来ているんですけどどうお伝えすれば良いですか?」と聞くと、ほとんどの保護者は下を向いて黙ってそして謝ります。そこで「ご家庭でも指導お願いします。我々教員もさすがに一人ひとりのご家庭に毎朝電話を掛ける余裕はありません。お願いできますか?」と伝えます。ここ、けっこう指導で抜けがちです。生徒への「遅刻することで良くないこと」を問い掛けた後、ここが抜けていたら強く考えさせたい。「迷惑を掛けているんだ」という点です。

〔例2〕万引き(窃盗)の指導

  犯罪だからとか、社会的にやってはいけないことだから、という。警察からも連絡があったことを保護者にも連絡することになる、と伝える。

  →  本人もそれをする時からわかってます。

  特別指導に該当するから

  →  これも本人は発覚時にわかります。そして納得する。先生に抵抗することはない。

  その生産者や売主の生活費を奪っている点

  →  これ、忘れてます。生徒はもちろん先生も。たとえ「シャーペン1本くらい」と言おうものなら「みんながそれをやったらどうなる?」とさらに問い詰めて自己中を責めます。

  警察沙汰になったことによる今後のマイナス

  →  万引きは窃盗という犯罪であるから家庭裁判所に送られ場合によっては保護観察処分や少年院送致となる。そうなると学校には来ることができないばかりか、その後の人生に支障も出ることがある。今後の生活にどうなる恐れがあるのか、再犯した者を除いてあまり知らないので知識として教えましょう。

ちなみに我々教員が当該生徒に「万引きしたことでどんなことが考えられる」と問い詰めると、この①②④の部分を反省して答えることがほとんどです。しかしすべて生徒自身のこと。結局自分のことしか考えていないのは万引きという行為と変わらない。それだけではなくて、あくまでも犯した罪を見つめる③の「そのことでどんな迷惑を掛けているのか」という部分を強調して指導します。


指導の手法は「問い掛け」の連続でやっていきましょう。生徒にこちらの言ったことを「はいはい」と下を向いたまま繰り返させてる指導は、私の昔の生活指導。考えて答えを出さなくて済むなら、とりあえずその場をやり過ごすために謝り、頭の中では案外他のことを考えているかもしれません。やっぱり、こちらがくどいほど「問い掛け」をして生徒本人に問題行動で指導を受けている意味を考えさせる。自分の口で話した言葉には「責任も生じる」から。我々は問い掛けによって事実確認をして、当該生徒に何が問題なのか周りへの迷惑も含めて知らしめ、それをもとに反省を促す。反省は原因に遡り問題行動や謹慎指導といういまの現象につながっている。そのことをわからせて、また学校生活に戻すのが指導の役目。


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田村正和さん主演のドラマで「古畑任三郎」という名作がありました。皆さんはご存知でしょうか。そのドラマも私の教員としての生徒指導上の大きなヒントになりました。そのドラマで田村さん演じる古畑刑事はいつも容疑者に問い掛けていました。「どうしてそこにいたんですか?」「誰がいましたか?  もともと何をしていたんですか?」「あなたはそこでどうしたんですか?」「どれくらいしたんですか?(物理的に。時間的に。)」「そもそもなぜそうしたんですか?」「それをどう証明しますか?  あなた以外に見ていた人はいましたか?」

まさに、我々もお手本とすべきだと思います。古畑刑事は別に「証拠もしっかり押さえて」からそのことを伏せた上で、時にはわからないフリをしながら、容疑者や犯人に問い掛けをしています。

それに加えて私たち先生は「それじゃあ今後どうしたらいい?」「そのためには今の何を変えたらいいかな?  何をやめて何をするようになったらできるようになるかな?」「何をどれくらい頑張るの?」「先生はお前の言ったことを信じちゃうけど、いいのかな?」という問い掛けもしていかねばなりません。


3)反省を文章に

指導を受けている中で考えたこと、思ったことを話をさせ、同じ内容を反省日誌に文字として綴るよう指示する。今後の生活でどう活かして、どう自分が変わるつもりか。そしてそれを踏まえた保護者の感想欄を読む。反省文や反省日誌から感想あるいは思ったことを読むときは、どうしてそのことがいけないのかを感じているのか、とにかくそこを読み取る。毎日考えることで深くなってきているかを要求する。

また保護者に対してですが、近年の生徒と保護者の関係は非常に近い。保護者は自分の子どもを一個の人格を持った人間としてではなく、まるで「自分の分身」と思い込んでいる人も少なくない。これを機に一緒に指導に乗ってもらって反省してもらう、という考え方もなくはない。しかし指導中、指導後の謹慎生活を考えると、やっぱり社会人という立ち位置でのお子さんへの指導をお父さんお母さんにもしっかりお願いしましょう。


4)謹慎解除の見極め

生徒が真面目にあるいはそれなりに指導に取り組んでその指導期間が終わると、謹慎解除の見通しと見極めに移ります。謹慎指導にも関わらず友人と連絡を取っていたり、外出していたり、課題が十分できていないなど、当該生徒の取り組みが甘い時には、謹慎の期間を当初の予定より長引かせるなど、さらに指導を強くすることになります。再び申し上げますが、指導を受けた生徒は学校生活に戻すのが本来の指導。生徒の変化に満足いかない部分が多少はあっても、戻すのが原則。笑顔で送り出す必要はまったくありませんけどね。


    謹慎解除と事後の指導  

1)謹慎指導の解除

「謹慎解除の見極め」を学年と生活指導部の先生で行います。担当の先生方で反省日誌や反省文を読んで回して、先生自身のチェックを入れます。了解を得たら生活指導部は謹慎解除の原案作成をします。解除の申し渡しをいつ、どこでして、いつから学校生活=ホームルームと授業に戻すのか、を学年と生活指導部主任で打ち合わせ、原案を作成します。次に校長と副校長に事前に当該生徒の反省日誌の閲覧をお願いし、課題の取り組みの報告をして了解を得ておきます。そして臨時職員会議を開いて了承を得ます。

「申し渡しによる謹慎解除」は謹慎指導に入る旨を申し渡しをしたとき同様に校長室で学校長から行います。手順については、★    申し渡し  の時と同じです。

生活指導部主任は今回の指導の記録をファイリングして残しておきます。「特別指導」はこれで終了します。


2)事後指導

「特別指導」は校長の解除とともにすべて終了したのでプラスアルファで指導することは不要です。しかし、担任や顧問の先生という立場であれば、その後の学校生活を送る上でいくつか約束事を決めさせてもいいでしょう。

私は特に「学年指導」や「生活指導部による指導」の時には、生徒本人の反省した気持ちや改善された生活習慣や学習習慣を継続させる意味でも事後指導を入れています。そのことは被害生徒を含む周囲の生徒にも目に見えるように表すことにもつながります。(でも強制的にでも示唆したとしても「坊主にさせる」のは今では体罰に相当してしまうのでダメですよ!  要注意。)

例を挙げますと、

「早朝登校指導」……度重なる遅刻指導を受けた生徒には一週間30分前登校させる。学年の先生がその期間その時刻に職員室でチェックします。「強制的家庭学習指導」……1日の家庭での学習時間を宣言させる。指導期間を終えても勉強をさせる。家庭学習の時間は自分で決めさせます。次の定期考査の順位や赤点を取らないなども目標として約束させます。それは先生の方でメモしておき、定期考査の後にさらに確認して指導します。もし頑張った結果が出たのなら個人的に呼び出して是非とも大げさに褒めてあげましょう。笑


(終わりに)

先生であれば誰しも「先生」という職業の大変さを理解しているとはいえ、生徒(や時にはその保護者)とは良い関係を築き、その中で卒業あるいはその後まで関わり続けていきたいもの。揉めたりすることは誰しも望んではいないでしょう。叱ること、イコール教育ではない。また冷めた言い方をすれば、生徒指導をする回数で我々教員の給与も上がるわけでもない。

生徒が問題行動を受け入れなかったり改善しない時に「そんなことは保護者レベルで教育したり指導しておいて欲しいのに!」という状況も残念ながら多々あります。損な役回りを引き受けざるを得ないことも多いと思います。

しかし、思い返せば私たちも小さい頃から学校の先生には授業以外のことも教えられて育って、その上で「今がある」のではないでしょうか。その指導が、個別であれ、クラスであれ、部活動単位の集団としてであれ。私自身は小学生の頃からヤンチャで落ち着きもなく授業も笑いを取ることに集中して妨害することに生き甲斐を見出し、時には複数の友人たちと問題行動も起こし、しょっちゅう先生に叱られてばかりの生徒でした。だから綺麗ごとではなく、その気持ちは実感としてかなりあるんですよね。(……本当にありがとうございました、当時の先生方。笑)

あらためて先生としての立ち位置をよく考えてみましょう。生徒に対しても保護者に対しても、毅然とした態度で学校全体として共通理解のもとで指導していかないといけない。それは不可欠。それを誤魔化す先生になってしまっては危険。経験値のない先生ほど中途半端な説教に終始してしまい、生徒たちから先生としての度量を推し測られて足元を見られてしまいます。こうした非日常の指導においてはまさに我々の姿勢が問われます。その指導の際にも「厳しい先生」と「甘い先生」とが生まれてはいけない。話し掛ける内容や手法が違っても、同じ判断基準で、同じ方向に顔を向けて、その生徒の未来のために共に指導していくべきです。その際に一番大切なことは何でしょうか?

私は思います。一見人当たりも良く強いことを言わない甘い先生もいて、怖くて厳しい先生もいる。しかしその指導の中でどの先生も「その子どものことを思って指導する」のであれば、指導の目的地や言い方の違いはあれ、間違ってはいないはず。(当然、体罰や明らかに行き過ぎた指導はNGです。)我々教員はその道のプロとして、同じ学校の教員として「落とし所」を決めたのならその中では妥協せずに子どもと付き合っていく。そして保護者と一体になって指導をする。「ちょっと謹慎指導、キツいけど頑張ろうよ」なんて甘い言葉も保護者から子どもに掛けさせない。学校の指導に協力してもらいます。その高校を選んだのはどんな経緯があれ生徒本人と保護者です。そういうことを共通理解の上で、卒業まで生徒(と保護者)に関わり続けていく。そういうことだと思っています。

だからたとえ問題行動が発生しても、面倒がらずに「来たか」というくらいで事実を受け入れ、その手順を頭の中で確認しながら、一方だけの生徒の声に思い入れしすぎず、冷静に背景と事実を拾う。その上でどこに着地点を見つけ、どう指導していくかを見極めて、対応していきましょう。